私は26歳の時にイギリス、ロンドンへ移住した。そして気がつけば、もう人生50年近く生きている。こうして自分の人生を振り返ると、前半の25年と後半の25年がくっきりと分かれて見える。経済的な視点で言えば、後半の25年は断然裕福だった。自分で稼ぎ、自分のために自由に使えるお金が増えたからだ。しかし、振り返って考えると、それが「幸せ」と直結していたかというと、そうではなかったように思う。
前半の25年。子供の頃はもちろんお金などなく、大学生の頃と社会人になりたての頃はお金は少なかったが、挑戦は多かった。新しいことに飛び込み、失敗を恐れず毎日を生きることが、何よりの喜びだった。日々が挑戦の連続で、まるで次のページに何が書かれているか分からない小説のようだった。そのワクワク感が、自分をメンタル的に支えていたのだろう。
後半の25年は、逆に「守り」に入った時間だった。安定した収入を求め、会社にしがみつき、余計な波風を立てないように生きることを優先した。その結果、挑戦はどこかへ消え、日々は単調な繰り返しになった。朝起きて仕事へ行き、帰ってきて休むだけの毎日。会社での「安定」は得られたかもしれないが、それに伴う満足感は徐々に薄れていった。
そうした単調な日々から抜け出すためには、会社を辞めることが最も手っ取り早い選択だった。もしあのまま会社に留まっていたら、私は今でも長時間労働を続け、週末は疲労で何もできず、また新しい週を迎えるだけの生活を送っていただろう。
2年前、私はその生活を終わらせる機会を得た。そして、独立し、新しい挑戦に乗り出した。それはまるで、前半の25年で感じていた幸福感をもう一度取り戻そうとしているようでもあり、むしろそれが「正しい道」だと自分を納得させる行為のようでもあった。
挑戦することで得られる幸福感。それはただ結果を出すだけではなく、失敗をも受け入れる過程から生まれるものだ。失敗はただの損失ではなく、経験として自分を成長させる糧になる。振り返ると、これまでたくさんの挑戦をしてきたが、それらは主に前半の25年に集中していた。後半の25年では、その数が減ってしまっていた。
これからの人生では、小さな挑戦を積み重ねていきたいと思う。たとえば、いつも通る道を少し外れてみたり、日常のルーティンにちょっとした変化を加えてみること。それだけで、新しい発見が生まれる。そしてその発見が、幸福感を静かに、しかし確かに広げていくのだろう。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から757日目を迎えた。(リンク⇨756日目の記事)』
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