ロンドン郊外で、母と子と、そして認知症ケアの話をする午後
- haruukjp
- Apr 19
- 4 min read

四月の光は、まるで長い旅を終えた疲れた旅人のように、静かに家の中に差し込んでいた。私はその光の中で、キッチンの窓辺に立ちながら、一人の友人のことを考えていた。
彼の母親は、数年前から認知症の症状が進み、いよいよ自宅でのケアが難しくなってきた。家族で話し合った末、ロンドン郊外にある看護付きの認知症ケアホームに入所することになった。
その決断は、簡単ではなかった。
彼の母親は、つつましくも美しく暮らしてきた人だった。庭には季節の花が絶えず咲き、いつも丁寧に紅茶をいれてくれた。彼女の家は、まさに「暮らしそのもの」だった。そして今、その家は売却され、老人ホームの費用に充てられている。
認知症ケアホームの費用——いったいいくらかかるのか?
2024年から2025年の最新データによれば、住宅型認知症ケアの費用はイギリス全体で週£1,449、ロンドンでは£1,756。彼の母親が入所した周辺の施設では、週£1,700から£1,900程度が相場だという。
毎月ではなく、「毎週」の金額だ。
それはつまり、年間で£90,000を超えることもあるという現実。
資産が£23,250以下であれば地方自治体からの支援もあるが、家を売却したことでその基準を超えてしまい、彼はフルで自己負担を抱えることになった。
母親の命の長さと、お金の尽きる速度
「母さんがあと何年生きるか分からないけど、十年生きたらどうしよう」
彼がそう呟いた時、私は胸の奥で何かが静かにひび割れるのを感じた。人の命を心から願いながら、同時にその経済的な重さに怯えるという矛盾は、まるで誰かがピアノの黒鍵だけで静かに奏でるブルースのように、心に沁みた。
彼には10代の子どもがいて、まだまだこれから教育にもお金がかかる。彼自身、心身ともに限界を感じながらも、「会社を辞めるわけにはいかない」と肩を落とす。
そんな彼を見ていると、私は思う。
認知症ケアとは、本人だけでなく、その周囲の人々すべてに関わる時間の物語なのだと。
間に生きるということ——ケアとキャリアと家族のはざまで
ロンドンの暮らしは、カフェのコーヒー一杯にも物価高が染み込んでいる。光熱費も、ガソリンも、学費も上がる一方で、それでも家族の未来は、歩みを止めてくれない。
彼のように、「親を看ながら子を育て、自分の人生をなんとか繋いでいく人」は、ここイギリスにも日本にも、数えきれないほどいる。
私はそうした「間に生きる人々」に、もっと光が当たる社会であってほしいと、心から思う。
いつか自分も、そこに立つのかもしれない
彼の話は、どこか私自身の未来を映しているような気がしてならない。今はまだ、認知症の影は身近にない。けれど、人生というものは予告なしに、静かに扉を開けてくる。
そのとき、私はどう生きるのか。どう選ぶのか。
今日は少しだけ、そんなことを考えた。
この物語は、誰にでも起こりうる「いつか」の話。けれど、今日をどう生きるかで、その未来は少しずつ変わっていくのかもしれない。
私は静かに、友人の母の幸せと、友人自身の健康を祈った。午後の光が、まだリビングに漂っていた。
文:はる『ロンドン発・アラフィフ父のリスタートライフ』
ロンドン在住、アラフィフ世代の父が綴る、暮らしと学びと再構築の日々。海外での子育て、キャリアの再設計、日常に潜む哲学的な気づき――ただ前を向いて、自分らしい「これから」を丁寧に築くためのライフログです。
家族との暮らしを大切にしながら、自分自身の軸も柔軟にアップデートしていく。その過程で見えてきた気づきや工夫を、同じように変化の中にいる誰かに届けられたらと思っています。ロンドンの空の下から発信中。
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