今日は地元の小さな教会で、クリスマス・キャロルのイベントが行われた。参加者は主に小学校5年生と6年生の子どもたちで、イエス・キリストの誕生を祝う詩の朗読や合唱が行われた。教会内は子どもたちの純粋な声と楽器の音色で満たされ、まるで時間がほんの少しだけ過去へと巻き戻されたような、不思議に穏やかな空気が漂っていた。
この催しに参加する親たちは、子どもたちの姿を少しでも近くで見ようと、開演の45分も前から教会の扉の前に並んでいた。その姿はどこか愛おしく、滑稽で、しかし完全に理解できるものだった。子どもたちが朗読する詩のフレーズや合唱曲には、クリスマスの神聖さがそっと織り込まれている。最後には大人たちも一緒になり、クリスマスと新年を祝う歌を歌い上げた。その響きは、どこか魂の底に触れるものがあった。
イベント終了後、牧師がクリスマスイブとその夜に行われるミサについて説明してくれた。その静謐な雰囲気に包まれながら、私はふと、日本のクリスマスについて考えた。
イギリスのクリスマスは、家族が集まり、日常の喧騒から完全に解放される静かな休息の日だ。一方で日本のクリスマスはというと、ケンタッキーフライドチキン(KFC)やショートケーキが注目の中心になり、街はイルミネーションで彩られる。だが、それ以上に、イギリス人を驚かせるのは「日本人がクリスマスの日にも仕事をする」という事実だ。
イギリスでは、クリスマスは家族と過ごす日と決まっている。公共交通機関は全て停止し、街はまるで静止したかのように閑散とする。聞こえるのはタクシーのエンジン音ぐらいで、街全体が静かな眠りにつく。
対して日本では、クリスマスはむしろ一種のイベントデーだ。仕事が終わった後に恋人とディナーを楽しんだり、仲間とパーティーを開いたりする。イルミネーションを横目に軽く一杯飲みに行く人もいる。だが、平日であれば朝から夕方まで普通に仕事をこなすのが一般的だ。
この違いをイギリス人に説明すると、いつも驚かれる。彼らにとってクリスマスは「動かない日」であり、仕事に出るという発想自体がほとんど理解の外にあるらしい。それを伝えるたびに、「まさか本当に?」と驚かれ、私は肩をすくめるしかない。
それでも日本のクリスマスには、独自の魅力がある。KFCのチキンバケットやデコレーションケーキ、カップルでのディナーといった風習は、まるでクリスマスを年末イベントの一環として取り込んだような印象だ。そこには宗教的な背景はほとんどないが、その分、軽やかで祝祭的な雰囲気がある。それがいいとか悪いとかではなく、ただ「そういうもの」として存在している。
イギリスの教会で聞いたクリスマスキャロルは、日本の街角で流れるポップなクリスマスソングとはまったく違う。どちらもクリスマスを祝う行為だが、その奥にある意図や背景は、まるで異なる世界のものだ。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から755日目を迎えた。(リンク⇨754日目の記事)』
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