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私はスマホ依存症です。画面に頼る時代。今、実験が行われている。子供を泣き止ます方法。

Writer's picture: haruukjpharuukjp


スマホの存在をめぐる議論は、もう何年も世界中で繰り返されている。最近では、専門家たちがスマホを持つ子どもと持たない子どもの育ち方をデータ化し、その違いを探ろうとしている。私たちは今、便利さの中に潜む落とし穴を見つめ直す時代を生きているのだろう。


とはいえ、スマホ依存は子どもだけの話ではない。むしろ大人の間にも深刻な影響を及ぼしている。最も顕著な例として挙げられるのは、夫婦関係だ。スマホを片手に中途半端に相手の話を聞き流す。それが原因で生まれる怒りやすれ違い。これが家庭の中でどれほど微妙な波紋を広げるかを考えると、スマホが手のひらの上の「小さな世界」から「大きな影響」を与えていることを痛感する。


特に、イギリスでは子どものSNS依存が問題視されている。一日中動画をスワイプして過ごす中学生たち。親たちは「デジタルデトックス」を試みるものの、スマホの魅力の前に手を焼いている。便利な情報が手に入る一方で、その情報の渦に子どもたちが呑み込まれている様子を見ると、喜びよりも不安が勝る。


しかし、それは大人も同じだ。私自身もスマホを手放せない一人だ。1時間もスマホを見ないと落ち着かなくなる自分がいる。友人からのメッセージが届いていないか、日本にいる家族から何か連絡がないか。それが気になって、つい手に取ってしまう。特に移民として生活している私にとって、スマホは日本とのつながりを保つための欠かせないツールだ。昔のように国際便で手紙を書いたり、高額なコレクトコールをかけたりする必要がなくなったのは、確かにありがたいことだと思う。


けれど、便利さの裏側で、私たちは大切な何かを見失っていないだろうか。先日、教会で泣き止まない赤ん坊にスマホを見せる親の姿を見かけた。その光景を目にして、少し心が痛んだ。でも、同時に思い出した。私もかつて赤ん坊を泣き止ませるために最後の手段としてスマホを渡したことがあったのだ、と。


スマホとの付き合い方を、今一度考え直す必要があると思う。家族でテーブルに座り、スマホを一度置いて、ただ顔を合わせて話をする。その時間は、スマホの画面には決して映らない何かを私たちに教えてくれる。


スマホが登場してからおよそ17年。今や私の子どもたちも人生で初めてスマホを持つ年齢に差し掛かっている。そのことをきっかけに、スマホが日常の中で占める位置を改めて考えるようになった。スマホは、私たちの手の中で未来を照らす懐中電灯にもなれば、時にそれが暗闇を生み出すこともある。その使い方次第で、私たちの人生は大きく変わるのだろう。

まずは、私自身がその問いと向き合うことから始めてみたい。


文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から756日目を迎えた。(リンク⇨755日目の記事)』


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