ある朝、私はあることを思い出していた。それは、「ファスティング」、つまり断食についてだ。最近、YouTubeなどで健康法や若返りに関する動画があふれていて、そのうちのいくつかが私の心をつかんでしまったのだ。
「空腹の時間を増やして若返りを!」というキャッチフレーズ。それに惹かれた私は、動画に従って自分なりにファスティングに挑戦してみることにした。
ファスティングの基本的なルールは、1日のうち8時間だけ食事を許されるというものだ。たとえば、午前7時に朝ごはんを食べたら午後3時以降は何も口にできない。逆に、お昼の12時に最初の食事を取るなら、夜の8時が「食事終了時間」となる。
私の場合、問題は夜だった。家族のために夕食を準備し、子どもたちが寝静まる頃になると、私はこっそりとつまみ食いをするのが好きだった。それが私なりの小さな楽しみであり、日常の儀式のようなものだった。しかしファスティングを実行するには、それを諦める必要があった。
結果、私は午前中を水で乗り切り、最初の食事は午後2時まで我慢するというスタイルを選んだ。しかし、これが意外に厳しかった。お昼を過ぎたあたりから、時計の針が進むのが遅く感じられ、空腹が頭の中を支配していった。お腹が鳴るたびに自分に言い聞かせる。「まだだ、あともう少しだ」と。
驚いたことに、ファスティングを始めてしばらくすると、体調が良くなっているように感じられた。体が軽くなり、どこか冴えた感覚さえあった。しかし、それとは裏腹に、精神的な負担が次第に大きくなっていった。
「食べたいときに食べられない」ということ。それは思った以上に大きなストレスだった。日常の小さな喜びを奪われたような気がして、気分が沈む日が増えた。
3週間ほど続けた後、私は気づいた。確かに体は軽くなるが、このままでは精神が持たない。食べることを制限されるストレスで、むしろ心が不調になっているのだ。
ふと、コロナ禍のロックダウン時に似た経験をしたことを思い出した。あの頃も、健康のためにファスティングを試していた。しかし、日々がどんどん味気なくなり、どこか鬱々とした気分になった。ロックダウンのせいだと思っていたが、今振り返ると、それはおそらくファスティングが引き起こしたものだったのだろう。
最終的に私はファスティングをやめた。そして改めて気づいたのは、適度な食事と運動こそが、自分には一番合っているということだ。もちろん、食べ過ぎはよくない。しかし、「食べたいときに食べたいものを食べる」という喜びを味わいながら生きること。それが私にとっての幸せだと感じた。
健康法や食事制限は、人によって向き不向きがある。私にとって重要なのは、心身のバランスをとりながら、自分なりのペースで日々を楽しむことだ。
イギリスの冬の空に浮かぶ淡い朝日のように、日常の小さな幸せを見逃さないこと。それが、私にとっての「健康」なのだと思う。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から742日目を迎えた。(リンク⇨741日目の記事)』
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