もし結婚しなかったら。私はときどきそんな仮定を頭の中で転がしてみることがある。
たとえば、ロンドンに来て独身で働いていたとしたら、時間もお金もすべて自分のためだけに使える。仕事の合間には好きな映画を見に行き、新しいコートを買って、夕方にはパブでのんびりギネスを傾ける。誰にも干渉されず、好きな場所に住み、自由に過ごす。おそらく経済的にも精神的にも、驚くほど軽やかに感じたかもしれない。
でも、私は結婚し、家族を作る道を選んだ。それは、言うまでもなく、私自身の決断だった。
結婚というのは、自由のすべてを放棄することではないけれど、明らかにその形を変えてしまうものだ。家族ができれば、自分のためだけに使っていた時間とお金は、自然と家族のために使われていく。子どもが生まれれば、その流れはさらに加速する。例えば習い事の月謝、スポーツの用具、週末に一緒に過ごすためのイベント費用。そして子どもたちに新しい世界を見せてやりたいという気持ちが、ホリデーや旅行の計画を後押しする。
これは、私が選んだ生き方だ。
こう書いてしまうと、どこか献身的な自己犠牲のように聞こえるかもしれないが、実際はそうではない。私はおそらく「幸せになることへの投資」を選んだのだと思う。子どもの笑顔を見るため、成長を見届けるために時間とお金を使う。それが、私にとっての日々の幸福を形作る。
たとえば、子どもが新しい楽器を習い始めるなら、私はそのためのレッスン費用を出し、必要な楽器を揃える。自分がその楽器を演奏するわけではないけれど、子どもがその瞬間に夢中になる環境を整えてやる。それが大切なことだと信じている。
もちろん、妻との関係を維持するのにも努力は必要だ。お互いの価値観や考えを交換し合い、時には譲り合い、時には何かを一緒に購入して、二人の間のバランスを調整していく。それができなければ、結婚生活はたちまち崩れてしまうだろう。結婚生活は小さなメンテナンスの連続だが、それが幸せを積み重ねるプロセスでもある。
もし結婚していなかったら、私はどんなふうに生きていただろう?きっと楽ではあっただろうし、楽しいことも多かっただろう。しかし、今、家族とともに過ごす時間や彼らの成長を目にすることに比べれば、それは少し味気なく感じられるかもしれない。結婚したからこそ、私はその「もし」を真剣に考えずに済むのだと思う。
家族というのは、時には混乱をもたらし、時には笑顔を与えてくれるものだ。そしてそのすべてが、私の選んだ道の一部なのだ。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から740日目を迎えた。(リンク⇨739日目の記事)』
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