15年間使い続けてきたテレビは、少々繊細さに欠けていた。画面が小さくなると、人の表情が見えなくなることもある。とはいえ、我が家ではテレビの稼働率は高くない。家族が不満を漏らすことはあったものの、その古びたテレビをそのまま放置していた。いや、放置していたというよりも、慣れてしまっていたのだ。こういう状況はよくあることだ。慣れというのは、ある種の麻酔のようなものだ。
だが、ブラックフライデーの宣伝が2週間も前から耳に入ってくると、少し事情が変わる。あの際限のないセールの呼び声は、やや強引でありながらもどこか説得力を持っている。「これを逃せば後悔しますよ」と言われている気がするのだ。私はその波に少しだけ流されて、「この機会にテレビでも買い替えようか」という話になった。結局、昨日のブログで、ブラックフライデーの罠について話した自分が一番罠に引っかかってたという結果になった。
結論を言えば、ブラックフライデーそのものでは私の欲しかったテレビは特に安くなっていなかった。年式が古くなりつつあるモデルはブラックフライデー前からすでに40%オフになっていて、むしろ年末に向けた価格調整の一環だったようだ。そこで私は、ブラックフライデー当日に価格が変わらないことを確認した上で、43インチのテレビを購入することにした。
43インチというのは、小さな我が家にはちょうどいい大きさだ。大きすぎるテレビは、部屋の雰囲気を圧倒してしまう。
今ではオンラインで注文して配達を頼むか、店頭でのピックアップを選ぶことができる。配達を選ぶと1週間ほどかかり、店頭でピックアップする場合でも、近所の店では3、4日待たなければならないと言われた。だが私は幸運にも、当日ピックアップ可能なお店を見つけた。それがロンドン北東部だった。
そのエリアは、治安が悪いという評判がある。殺人事件がニュースになることもある場所だ。少し緊張しながら車で向かったが、駐車場はお店から200メートルほど離れたところにしか見つからなかった。
店内は驚くほど空いていた。ブラックフライデー明けの土曜日の午前中だというのにだ。これには少し拍子抜けした。「人々は本当に買い物狂いなのだろうか?」と疑問に思った。おそらく、ほとんどの人がオンラインで注文して、配達を頼んでいるのだろう。
私は新しいテレビを受け取り、駐車場まで200メートルほど歩いて運ぶことになった。その道は商店街で、ロンドンバスが何台も通っている。私が43インチのテレビを抱えて歩いている姿を、バスの乗客たちが興味深そうに眺めていた。
治安が良くない場所で、テレビを奪われて逃げられてもおかしくない。そう思うと心臓が少し早く鼓動し始めた。思わず、20代のころを思い出した。東京で学生だった頃、知人から譲り受けたマットレスを背中に背負い、一駅分歩いたことがあった。あるいは、友人と一緒に秋葉原から冷蔵庫を運び、祐天寺のアパートまで電車で持ち帰った記憶も蘇った。
30年近く経って、私はまた同じようなことをしている。今度はロンドンで、43インチのテレビを背負って。
無事に車までたどり着き、テレビを積み込むことができた。そして家に帰ると、子どもたちはまるでヒーローを迎えるかのように私を出迎えてくれた。それは、それだけでブラックフライデー以上の価値がある瞬間だった。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から739日目を迎えた。(リンク⇨738日目の記事)』
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