「飛行機に乗って地球を壊すマラソンに、私はもう参加しない」
- haruukjp
- Apr 21
- 3 min read

私の友人に、マラソンと水泳とサイクリングを愛してやまない男がいる。彼はもうすぐ定年を迎えるのだが、今よりもむしろ、そこからの毎日が本番だと言わんばかりに、運動への情熱を語っている。彼にとって身体を動かすことは、時間を測るためのひとつの儀式のようなものであり、季節を感じる手段でもある。
ただ、そんな彼にはもうひとつ、譲れない価値観がある。それは「環境への配慮」だ。最近では「サステナブルなランニング」という言葉も耳にするようになったけれど、彼はそのはるか前から、自分の足跡がどんな影響をこの地球に残すのかを考えていた。
だから当然のように、彼は海外のマラソン大会にはまったく関心がない。飛行機に乗ってまで走りに行く気はさらさらないと言う。むしろそれは、マラソン本来の精神から外れているのではないか、とさえ語る。
彼にとって「走る」というのは、自分の足でどこかへ行き、自分の足で帰ってくる、という極めてシンプルで、本質的な行為なのだ。だから彼は、今でも週に3回、ロンドンまでの30キロの道のりを走って出社している。誰もそれを強制したわけじゃない。彼自身の選択だ。
この話を聞いて、私はふと立ち止まって考える。マラソンというのは、結局「どこか遠くの大会に出て、完走メダルをもらうこと」じゃないのかもしれない。むしろ、自分の町を、自分の呼吸とリズムで走ること。毎回見慣れた風景の中に、少しずつの変化を見つけていくこと。
環境問題とマラソン。その2つは相容れないようでいて、実はとても親和性が高い。交通手段を使わず、飛行機に乗らず、自分の足だけで移動する。それは最も原始的で、最も地球に優しい移動手段でもある。
今後、私たちが考えるべきは「どの大会に出るか」ではなく、「どんなふうに日々の生活に運動を取り入れるか」なのかもしれない。そしてそれは、マラソンだけでなく、生き方そのものに関わってくる。
友人の生き方を見ていると、そんな当たり前のことを、あらためて思い出させてくれる。
文:はる『ロンドン発・アラフィフ父のリスタートライフ』
ロンドン在住、アラフィフ世代の父が綴る、暮らしと学びと再構築の日々。海外での子育て、キャリアの再設計、日常に潜む哲学的な気づき――ただ前を向いて、自分らしい「これから」を丁寧に築くためのライフログです。
家族との暮らしを大切にしながら、自分自身の軸も柔軟にアップデートしていく。その過程で見えてきた気づきや工夫を、同じように変化の中にいる誰かに届けられたらと思っています。ロンドンの空の下から発信中。
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