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イギリス式ダイウィズゼロ

  • Writer: haruukjp
    haruukjp
  • Apr 20
  • 4 min read


近所に住む96歳の女性がいる。1954年から、つまり71年ものあいだ、彼女は同じ家に住み続けている。今は一匹の犬と一緒に暮らしていて、私は週に何度か、その犬の散歩を手伝っている。

家の前に立つと、古い煉瓦の壁に、時間というものがしっかりと染みついているのがわかる。風が通り過ぎるたびに、まるで家そのものがため息をついているように思える。彼女にとってその家は、ただの建物ではない。記憶の断片が、部屋の隅々にまで入り込んでいる。天井のしみ一つとっても、そこには誰かとの会話や、あたたかな午後の光が刻まれているのだ。

イギリスではもう数十年も継続的に不動産の価格が高騰している。特にロンドン郊外の住宅市場では、古い家であっても驚くような値がつく。そのため、多くの高齢者が「家を売って現金化する」という選択肢を検討している。たしかに、老後の資金を手にする手段としては理にかなっているのかもしれない。

しかし、現金を手に入れたからといって、すべてがうまくいくわけではない。実際に家を売り、見知らぬ街の賃貸住宅に移ったことで、生活の変化についていけず、心を病んでしまう人もいる。住み慣れた家というのは、単なる「器」ではなく、その人の人生そのものを包んでいる空間なのだ。

多くの年配者は、できることなら自分の家で最期を迎えたいと願っている。病院のベッドでも、施設の個室でもなく、自分の思い出が染み込んだあのソファに座って、朝の光を浴びながら、静かに終わりを迎える。そんな風に思っている人が、思いのほか多い。

私はまだその決断を迫られているわけではない。けれど、自分が歳を重ねていけば、いずれ「この家をどうするか」という問いに向き合う日が来ることは、ほとんど確実に見えている。

最近のリサーチによれば、イギリスの高齢者の中で、自宅を売って賃貸へ移る人は年々増加しているという。特にロンドン近郊では、住宅価格の高さがその選択を後押ししている。たとえば、Centre for Ageing Betterによると、55歳以上の民間賃貸世帯数は過去15年で倍増している。

一方で、自宅に住み続ける人たちもまた、静かに増えている。たとえば、前述の96歳の女性のように。彼女はいつも言う。「私はこの家で全部経験したのよ。最初の洗濯機、夫との最初のけんか、子どもが熱を出した夜も。全部、この壁が覚えてるの。」

家を売るということは、そうした記憶の入れ物を手放すことでもある。それが正しいか間違いかは誰にもわからない。ただ一つ言えるのは、「家」というものは、お金や市場価値では測れない何かを含んでいるということだ。

私は今日も、その女性の犬を散歩に連れていく。彼女は玄関先で小さく手を振り、私に「ありがとう」と言う。その声を聞きながら、私はふと考える。私自身は、いつかこの家をどうするのだろうか。そして、もしその時が来たとき、私は心から納得できる選択ができるのだろうか。


文:はる『ロンドン発・アラフィフ父のリスタートライフ』

ロンドン在住、アラフィフ世代の父が綴る、暮らしと学びと再構築の日々。海外での子育て、キャリアの再設計、日常に潜む哲学的な気づき――ただ前を向いて、自分らしい「これから」を丁寧に築くためのライフログです。

家族との暮らしを大切にしながら、自分自身の軸も柔軟にアップデートしていく。その過程で見えてきた気づきや工夫を、同じように変化の中にいる誰かに届けられたらと思っています。ロンドンの空の下から発信中。


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