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12歳の息子が、たまに会いに行くとずっとアイパッドをやってるんですよ

Writer's picture: haruukjpharuukjp


スマートフォンが世に登場したのは2007年のこと。それから17年が経ち、私たちはその影響を身近で観察することができるようになった。特に、子どもたち。彼らは、スマートフォンという装置の「壮大な実験」に晒される最初の世代だ。

画面を見ながら生活することが、子どもたちが大人になったときにどのような影響を及ぼすのだろうか。経済的な側面、学習面、そしてメンタル的な側面。そのすべてにおいて、まだはっきりとした答えはない。ただ、確かなのは、何かが大きく変わりつつあるということだ。


経済的な観点から見れば、スマートフォンはゲーム業界に革命をもたらした。オンラインで繋がった友人たちと遠距離で会話をしながら、同じ仮想空間を楽しむことができる。今ではプロのゲームプレイヤーが高額賞金を得られる時代だ。彼らの中には、スマートフォンを「武器」として扱うことで経済的成功を収めている人もいる。

しかし、その一方で、学習面ではどうだろうか。オーストラリアでは16歳以下のSNS使用を禁止する法令が採択された。一方で、YouTubeの視聴は許可されている。それは教育的なコンテンツが多く存在するという理由からだ。しかし、子どもたちは果たして教育的な動画を積極的に視聴しているのだろうか?それとも、アルゴリズムに導かれるまま、娯楽やゲーム動画に流されているのだろうか。


ある単身赴任の父親Xさんの話がある。彼は子育てにはほとんど関わることができず、すべてを妻に任せていた。妻は赤ん坊を静かにさせるためにスマートフォンやタブレットを使い始め、それは次第に子どもの日常の中心となった。

やがて子どもが成長し、小学生の高学年になった頃には、家に帰るとすぐにスマートフォンやiPadに向かい、コンテンツを探しては見続ける生活が定着していた。12歳の息子がiPadのゲームに没頭している姿を見たXさんは、ふと虚しさを感じる。彼は高学歴の大学を卒業しており、少なくとも自分と同じかそれ以上の教育環境を子どもに与えたいと願っていた。しかし現実は、子どもは画面の中だけを見つめ、父親の存在をほとんど顧みない。


スマートフォンが生み出したのは、便利さと刺激の連続だ。それは、子どもたちにとっては魅力的なものであり、大人たちにとっても抗いがたいものだ。しかし、この「画面中心の生活」が、彼らの学習意欲、コミュニケーション能力、そして精神的な健康にどのような影響を及ぼすのかは、まだ誰にもわからない。

スマートフォンが導入されてから育った子どもたちが、今まさに大人になろうとしている。この壮大な実験が社会に何をもたらすのか、それを私たちは静かに見守るしかない。


文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から743日目を迎えた。(リンク⇨742日目の記事)』


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