
最近、運動不足解消のために近所の犬を借りて散歩をしている。散歩相手のその犬は元気いっぱいで、若さ溢れる4、5歳ほど。飼い主はと言えば、96歳の高齢者だ。少し意外に思われるかもしれないが、彼女は携帯電話も使いこなすほど意識はしっかりしている。ただ、足腰の衰えには抗えず、元気な犬を引き連れて歩くには少々難儀している様子だった。
私はその犬の運動不足を聞きつけて家を訪れ、「よければ私が散歩を」と申し出た。以降、犬と私は毎日のように近所を歩くようになった。冷たい風が頬を撫でる冬の午後も、春の匂いが漂う道も、犬はいつも嬉しそうに歩き、時に私のペースなどお構いなしに駆け出した。
なぜ犬を飼っているのか?
けれども、最初から一つの疑問が私の中にあった。どうして、この高齢者が若くて活発な犬を飼っているのだろう? 90代の彼女に、新しく犬を譲るようなことはルール上難しいはずだ。それに、この元気いっぱいの犬と暮らすには、彼女の体力はあまりに心許ない。
理由を尋ねると、彼女の目が少し寂しそうに遠くを見つめた。そして、近年息子さんを亡くしたことを話してくれた。その息子さんには家族はおらず、唯一飼っていたのがこの犬だったという。突然の不幸で息子さんがこの世を去り、残された犬を引き取る人が誰もいなかった。それで彼女が「仕方なく引き取るしかなかった」というのが、事の顛末だった。
その話を聞いてから、私はこの犬との散歩が少し違う意味を持つようになった。ただの運動不足解消ではなく、何かもっと深い人と犬との繋がりを背負うような感覚だ。そして、それを私がほんの少し支えている。
散歩と会話
犬を迎えに行くたびに、高齢者と私は少しずつ話をするようになった。初めは犬のことや天気のことだけだった会話も、次第に彼女の人生や思い出に広がっていった。彼女の語り口は穏やかで、時折、微かに笑みを浮かべながら話すのが印象的だった。悲しみや孤独が、どこか彼女の中で整理されつつあるように思えた。
私自身も、そんな会話の時間を心地よく感じていた。
この散歩が彼女にとっても、犬にとっても、そして私にとっても、小さな癒やしのひとときになっているような気がした。
これからの心配
ただ、私にも忙しい時期がやってくる。観光シーズンに入ると仕事が一気に増える。犬の散歩の時間を確保できるのか心配だ。けれども、それまでの間、この役割を続けたいと思っている。
犬のしっぽが揺れるのを見るたびに、彼が楽しんでいることが伝わってくる。その瞬間、私自身も少し救われているのだろう。風が少し冷たい午後も、これから暖かくなる春の日差しの下でも、散歩は続く。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から787日目を迎えた。(リンク⇨786日目の記事)』
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