
「肩の力を抜いてください」と言われると、逆に肩に力が入ってしまう。リラックスしなければならない、という妙なプレッシャーがのしかかり、気づけば余計にこわばっている。そんな感覚を、私はサラリーマン時代に幾度も経験した。
会社はよくストレスを抱える社員に「リラックスして働こう」と促すが、果たしてそれが本当に可能なのだろうか?少なくとも、私はリラックスして仕事ができるタイプではなかった。むしろ、緊張感を保ち続けている方が心が落ち着くという性分だった。だが、それは同時に「気合を入れる」という無駄に熱量を消費する生き方であり、気づけば現実逃避の手段になっていたのかもしれない。
非日常を楽しむことの難しさ
私はサラリーマン時代、ほぼ毎日緊張の中で過ごしていた。結果として、まともに非日常を楽しむ余裕がなかった。そして、会社を解雇され、自由な時間が手に入った後も、その自由を心から楽しめるようになるには至っていない。
自由とは何だろう?それは大抵の場合、手に入れた瞬間に別の不安と置き換わる。私がその事実に気づいたのは、何度も面接に失敗し、再びサラリーマンの道へ戻る気力を失った時だった。とはいえ、フリーランスとして充実したキャリアを築けているわけでもない。会社に守られてきた年月が、私に自立の難しさを突きつける。
そんな状況を目の当たりにして、妻は私を心配している。「あなた、このまま人生を諦めてしまうんじゃないかしら?」と。
諦めとは何か
自分は本当に諦めてしまったのだろうか?そう自問するとき、答えは定まらない。確かに、全てを投げ出したくなるような日々がある。一方で、まだ何かできるはずだ、という微かな希望も残っている。
現在、早期退職が流行り、余暇を満喫する人生を選ぶ人もいる。しかし、私にはその選択肢は現実的ではない。金銭的にも、精神的にも、まだ働かざるを得ない立場にあるからだ。だが、働くということが単に生計を立てる以上の意味を持つのなら、私は何を目指すべきなのだろう?
目標を描く
簡単な目標としては、毎年少しずつ収入を増やしていくことが挙げられる。一昨年よりも去年、去年よりも今年。そうした小さな達成感が、私にとって生きる支えになるのかもしれない。
だが同時に、歳を重ねるとともに挑戦できなくなることも増えていく。例えば、若いうちにしか楽しめない趣味がそうだ。時間がある今のうちに、それらに手をつけておくべきなのだろうか?
葛藤の中で
年齢を重ねるほど、理想と現実のギャップは広がる。新しい仕事への挑戦と年齢的な限界。その間で揺れる自分を、私は時折冷静に観察する。
「個人事業主の事業を拡大し、あと30年、40年と働き続けるのも一つの選択肢だ」と考えたりもする。だが、それが本当に自分の望む未来なのかは分からない。
私の人生は、今まさに岐路に立っている。次に進むべき道がどこにあるのか、それを見つけるための葛藤の時間が、今日も続いていく。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から785日目を迎えた。(リンク⇨784日目の記事)』
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