玉ねぎをめぐる静かな反抗 〜嫌われ野菜と私のささやかな希望〜
- haruukjp
- Apr 24
- 3 min read

イギリスのある調査によれば、この国の人々の83%が玉ねぎを「好き」と答え、たった6%だけが「嫌い」と答えているらしい。つまり、玉ねぎはこの国ではかなりの人気者だ。カフェでもパブでも、ちょっとしたサンドイッチの中にすら、細く刻まれた赤玉ねぎが忍ばせてある。まるで当然のように。
けれど、我が家では事情が少し異なる。4人家族のうち、3人が玉ねぎを嫌っている。割合にすれば75%。この国の平均とは見事に逆転している。つまり、玉ねぎはわが家において“マイノリティの野菜”であり、私はその孤独な支持者というわけだ。
玉ねぎをめぐる日々
それでも、私は毎年のように玉ねぎを育てている。小さな家庭菜園の片隅に、ためらいなく球根を植え、季節が移るのを待つ。芽が出て、葉が伸び、土の中で静かに丸くなるまで、私はただ黙って水をやり、見守る。
誰も食べないのに、なぜ育てるのか?それはたぶん、育てるという行為そのものに意味があるからだ。あるいは、いつか誰かが食べてくれるかもしれないという、かすかな希望のようなものかもしれない。
玉ねぎを食べない国、人、文化
世界を見渡すと、玉ねぎの消費が極端に少ない国もある。たとえば、カンボジアやエクアドルでは、年間一人あたりの玉ねぎ消費量が0.03kgにも満たないという。そう聞くと、うちの家族が玉ねぎを避けるのも、別段めずらしいことではないように思えてくる。
文化によって、味覚は大きく異なる。それは国境を越えても、家族という小さな社会の中でも、同じことなのかもしれない。
それでも玉ねぎを
子供たちは、玉ねぎの存在に気づくと、まるで地雷を踏んだかのような顔をする。炒めた玉ねぎを甘く煮込んでも、スープに溶け込ませても、彼らの舌はそれを見逃さない。
でも、私はあきらめない。いつか、彼らが大人になり、ふとした日曜の午後にキッチンの匂いを思い出し、「あの頃、パパが作ってた料理、意外と悪くなかったな」と口にしてくれる日が来ることを、私はどこかで信じている。
玉ねぎは嫌われても、美味しい
玉ねぎは時に涙を誘い、時に皿の隅に追いやられる。けれど、料理をする者にとって、それは欠かせないパートナーでもある。甘さも、苦味も、香ばしさも。時間をかけて火を通すことで、それらがじんわりと浮かび上がってくる。
我が家の3/4が玉ねぎ嫌いであるという事実に、私はもう驚かない。ただ静かに、今日も畑に立ち、小さな芽に水をやる。
いつか誰かの「おいしいね」という一言のために。
文:はる『ロンドン発・アラフィフ父のリスタートライフ』
ロンドン在住、アラフィフ世代の父が綴る、暮らしと学びと再構築の日々。海外での子育て、キャリアの再設計、日常に潜む哲学的な気づき――ただ前を向いて、自分らしい「これから」を丁寧に築くためのライフログです。
家族との暮らしを大切にしながら、自分自身の軸も柔軟にアップデートしていく。その過程で見えてきた気づきや工夫を、同じように変化の中にいる誰かに届けられたらと思っています。ロンドンの空の下から発信中。
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