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親子で耕す、小さな家庭菜園——都会の片隅で土と向き合う日々

  • Writer: haruukjp
    haruukjp
  • Apr 13
  • 3 min read


ロンドン郊外の、穏やかな午後だった。雲の隙間からのぞく曇天の光が、湿った畑の土を照らしていた。私が家庭菜園のために小さな借地を契約したのは、息子がまだ泥をおもちゃにし、その手を口に運んでしまうような年齢だった頃のことだ。

当時の畑作業というのは、どこか戦場のようなものだった。夫婦で交代しながら、一人が耕し、一人が子どもの相手をする。草をむしるにも、鍬を入れるにも、常に幼児の声が背中にあった。すべてが、時間に追われながらの共同作業だった。

それから何年かが経ち、季節がいくつも巡って、あの泥遊びの息子が今や十代の半ばを迎えている。軍手を渡すと、彼はそれをしっかりと手に装着し、何のてらいもなく作業に取りかかる。しかも、私とは違ってずいぶん几帳面だ。50センチ以上も地中に埋まった雑草の根を一本一本、ていねいに掘り起こす。そして、その根の全貌を地上に引きずり出すたびに、まるで何かの発掘作業に成功したかのような喜びを見せる。

家庭菜園で気づく、親子の時間と成長

気がつけば、今ではほぼ大人三人で畑に立っているようなものだ。私と妻、そして息子。まだ下の娘は戦力とは呼べず、濡らした雑草の根を使って小さな泥んこ実験を楽しんでいる段階だが、それでも彼女なりのやり方で畑の一角を明るくしてくれている。

畑仕事は人生のリズムを整えてくれる

息子が「疲れた」と言わずに、手伝いを続けてくれる。それが、妙に私の心を揺さぶる。まるで土が彼の背中を支えてくれているかのように、静かに、しかし確実に働き続ける彼の姿に、私は少し元気をもらっているのだ。

今日は、そんな彼の姿に背中を押されて、私も新しい種を植えた。玉ねぎとニンニク。これらは時に涙を誘い、時に香りを残す。人間の営みにどこかよく似ている。

都市生活の中で、土に触れる意味

ロンドンの片隅での小さな畑。都会にいながら、私たちはここで季節の移ろいや土の呼吸を感じている。畑を耕すという行為は、単に食べ物を育てるだけではない。それは、家族と過ごす時間を耕し、自分自身の思考の土壌を深く掘り起こすことでもある。

次の週末には、何を植えようか。あるいは、また何を引き抜こうか。家庭菜園とは、そんなふうにして日常と非日常のあいだを静かに行き来する、ひとつの小さな旅でもあるのだ。


文:はる『ロンドン発・アラフィフ父のリスタートライフ』

ロンドン在住、アラフィフ世代の父が綴る、暮らしと学びと再構築の日々。海外での子育て、キャリアの再設計、日常に潜む哲学的な気づき――ただ前を向いて、自分らしい「これから」を丁寧に築くためのライフログです。

家族との暮らしを大切にしながら、自分自身の軸も柔軟にアップデートしていく。その過程で見えてきた気づきや工夫を、同じように変化の中にいる誰かに届けられたらと思っています。ロンドンの空の下から発信中。


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