top of page

そろそろこのブログも終わりに近づいてきたかもしれない

  • Writer: haruukjp
    haruukjp
  • Apr 11
  • 3 min read


――ロンドンで無職になったアラフィフ父がたどり着いた場所

春のロンドンの空は、たまに嘘のように青い。この街に住んで24年が過ぎても、その空の色には時折、虚を突かれる。

そして、その空を見上げながら私はふと思った。「そろそろ、このブログも終わりに近づいてきたかもしれないな」と。

アラフィフ、無職、ロンドン育児生活――このブログの始まり

このブログを書き始めたのは、私がロンドンで失職する10ヶ月ほど前だった。アラフィフの父親として書き出し、その後仕事を失い、再就職の道が閉ざされた状態で、子育ての真っ只中にいた。

その状況で、私はとにかく書きたかったのだ。不安、焦燥、孤独、希望のかけら。言葉にすれば、自分の中の何かが整理される気がした。そして、もしかしたら未来の子どもたちが、いつかこの文章を読んで、父が何を思い、どんな風に日々を過ごしていたのかを知ってくれるかもしれないとも思った。

書くことで救われることと、囚われること

でも最近、自分がこのブログを書くときの感情の中心に、ほんの少し「承認欲求」というやつがいることに気がついた。つまり「可哀想な自分」を誰かに見てもらいたい、認めてもらいたい、そういう小さな欲だ。

もちろん、それが悪いわけじゃない。人は誰だって、自分の存在を確認したい。そうじゃないと、ときに世界に置いていかれるような気持ちになる。だけど、その感情に寄りかかりすぎると、いつまでたっても前には進めない。

このブログがいつしか「生存報告」と「自己憐憫」の中間に位置するような、そんな居心地の悪さを感じるようになったのも事実だった。

「続けること」と「終わらせること」

続けることは、素晴らしい。たとえそれが誰かの目に価値がなくとも、自分にとって意味があるのなら、続けるべきだ。だけど、続けることと、進むことは、似て非なるものだ。

このブログを終わりにするのは、「書くこと」自体をやめるという意味ではない。ただ、今までのような“可哀想なアラフィフ無職男がロンドンで踏ん張っている記録”というスタイルを、そっと終わらせたいのだ。

今後は、もっと一歩下がって、俯瞰して、冷静に――「自分という存在」と「この世界の関係」みたいなものを、静かに描いていけたらと思っている。

新しい視点を探す旅へ

人は何度だって、視点を変えることができる。ブログもまた同じだ。

私はこれからも、書き続けるつもりでいる。けれど、そこにはもう「無職」「中年の悲哀」「必死のサバイバル」といったタグは貼られない。代わりに、「俯瞰」「再構築」「静けさ」「日常の深み」といった言葉が並ぶことになるだろう。

この場所で出会ってくれたすべての読者に、静かに感謝を込めて。人生という長い長い小説の、次の章へ向かう準備を始めます。


:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から860日目を迎えた。(リンク⇨859日目の記事)』


最近の記事




おすすめの記事



Комментарии


United Kingdom

  • Twitter

©2022 by 独り歩き浪人の詩 はる HARU. Proudly created with Wix.com

bottom of page
PVアクセスランキング にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 最高の人生へ
にほんブログ村