Xさんの一日がどのように始まり、どのように終わるのか。その断片を想像するたびに、私はある種の尊敬と親近感を覚える。彼女は医師という職業を持ちながら、2人の娘のために毎日弁当を作り続けている。それは単なる家事以上のものだ。むしろ、家族のための静かな戦場であり、彼女自身の愛情表現の一形態でもあるのだろう。
Xさんが弁当作りを始めたのは、長女が高校に入学した頃だった。彼女自身の母親は料理が得意ではなく、レトルト食品や市販の冷凍品を駆使して「なんとかそれらしい弁当」を作ってくれた。愛情は感じられたが、それは必ずしも手作りという形ではなかった。
だからこそXさんは決めたのだ。「私は娘たちに、自分の手で作った弁当を渡そう」と。
長女から「ママの弁当は最高!」と褒められるたび、彼女のモチベーションは高まり、より手の込んだ弁当を作るようになった。それは次第に家庭の一つの「文化」になり、給食がある次女の中学時代ですら、彼女の弁当は欠かせない存在となった。
もちろん、弁当作りが常に楽しいわけではない。Xさんは医師としての長時間労働を抱えながら、帰宅後は夕食を作り、その傍らで翌日の弁当の下準備をする。そして翌朝、まだ外が暗いうちに起きて弁当を完成させる。
次女が「朝型の方が勉強の効率がいい」と気づき、毎朝5時に起きるようになった頃から、Xさんの一日はさらに早く始まるようになった。それでも彼女は続ける。子どもたちの喜ぶ顔が見たい。ただそれだけの理由で。
しかし、その道のりは決して平坦ではない。ある日、忙しさにかまけて弁当に市販のシュウマイを入れたところ、帰宅後に娘たちが隣の部屋で「あのシュウマイ、美味しくなかったよね」と話しているのを聞いてしまった。娘たちに悪気はないのだろうが、その瞬間、Xさんは自分の中に新たなプレッシャーを感じたという。
唯一の休息は期末テスト後の長期休暇だ。しかし、予備校に通う長女のために、夏休みでも弁当作りをすることもあった。そう、彼女にとっての「弁当地獄」は、休暇などという言葉とは無縁のものなのだ。
「弁当を作る」という行為の中に込められたXさんの愛情は深い。娘たちのために、彼女は手を抜くことを許さない。おそらく、それは彼女自身のプライドであり、子どもたちへの愛の形なのだろう。
その一方で、彼女の体力と精神のバランスは、いつもぎりぎりのところで保たれているのかもしれない。
この戦いが終わるのは、次女が高校を卒業する2年後だという。それまでの間、彼女の弁当作りは続いていく。
手間のかかる弁当という形で、母親としての愛を子どもたちに伝える。そのプロセスは過酷である一方、どこか感動的でもある。Xさんが娘たちに伝えているのは、料理以上の何か、つまり人生の中で誰かのために全力を尽くすという哲学そのものだ。そしてそれは、きっと娘たちの記憶の中で何年も、何十年も輝き続けるだろう。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から732日目を迎えた。(リンク⇨731日目の記事)』
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