あの日のことを思い返すたびに、胸の奥に少しだけ残っている鈍い痛みを感じる。それは、正午を少し回った頃だったと思う。自宅の書斎で在宅勤務をしていた私のもとに一本の電話が入った。電話の向こうから聞こえてきたのは、課長の震える声だった。それが、ちょうど二年前の今日の出来事だ。
課長とは年齢も近く、同僚としてだけでなく友人のように親しく話す間柄だった。だからこそ、彼が電話をかける前にどれほど迷い、葛藤したのかは想像に難くない。しかし、電話の中での彼は、普段の日本語の会話ではなく、ぎこちない英語を話していた。明らかに何かを書類から読み上げているような口調で、それだけで私はただ事ではないと察した。
課長が懸命に説明を続けようとする中、イギリス人の人事担当がラインに入り、その場を引き取った。人事担当者の冷静で事務的な口調の中で、私は自分が会社から解雇されることを正式に告げられた。その瞬間、課長は沈黙し、もう一言も発しなかった。それが、私が彼の声を最後に聞いた時だった。
解雇されたとき、最初に頭をよぎったのは家族のことだった。これからの生活はどうなるのか。子どもたちにどんな未来を用意してあげられるのか。心配と不安が胸を支配した。それでも、この二年間で、私は少しずつではあるが新しい自分を築き上げてきた。今、振り返ってみると、あの時課長がもう少し私のために戦ってくれたらという思いもある。しかし、そうしなかった彼の選択もまた、人間らしいものだったのだと思えるようになった。
現在、私はイギリスでトラベルコンシェルジュとしての仕事をしている。サラリーマン時代と比べて、収入の安定性は劣るかもしれないが、その代わりに手に入れたものも多い。何より、この仕事では新しい人々と出会い、そのたびに刺激を受ける。イギリスを訪れる人々は、好奇心旺盛で、どこか冒険心に満ちている。彼らとの会話はいつも生き生きとしていて、それが私自身の活力にもなっている。
仕事を通じて築かれる人脈、そこで交わされる物語。それらは以前の私には想像もできなかった財産だ。確かに、金融業界でのキャリアを続けていれば、子どもたちにとって「誇らしい父親」でいられたかもしれない。しかし、私はもうその時代を卒業したのだ。
「好きなことを見つけて、それに向かって計画を立てるんだよ」と、私は子どもたちに伝えたい。人生の道筋は、最初から決まっているわけではない。むしろ、それを自分で選び取り、紡いでいくものだ。私自身、長いサラリーマン生活を経て、自分が本当に歩みたい道をようやく見つけた。そして、それは今もまだ続いている。
二年前の電話をきっかけに始まったこの新しい旅路。その途中で得たものは、数え切れないほどの価値を私に与えてくれた。そして、これからも与え続けてくれるだろう。人生は時に容赦なく不条理だ。それでも、それを受け入れ、新たな一歩を踏み出すこと。それが私にとっての希望であり、生きる力なのだ。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から731日目を迎えた。(リンク⇨730日目の記事)』
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