
家で一人きりになると、私はたいていコンピューターの前に座っている。そして作業をしたり、何かを調べたりと、この情報過多の時代において終わりのない小さなループに巻き込まれていく。
デジタルデトックスという言葉を耳にして、スマートフォンやパソコンを触る時間を減らそうとしてみたこともある。時には完全に遮断する日を設けたことすらある。しかし、自宅にいるときにデバイスが手の届く範囲にあると、ついチェックしてしまう自分がいる。結局、何もやることがなくなると、自然にスクリーンを見ようとしてしまうのだ。まるで知らぬ間に育ててしまった「スマホ依存症」のように。
そして最近では、ポッドキャストやYouTubeを2倍速で流し聞きしながら日々を過ごしている。そんな受動的な情報摂取が、私の脳に休む暇を与えないでいる。
散歩がもたらす時間の再発見
そんな中、私はあるきっかけで近所の犬を借りることになった。これが予想以上に私の生活を変えた。犬の散歩を始めてから、私は1日平均で1万歩近く歩くようになった。それは雨の日も、風が強い日も例外ではない。犬を連れて散歩に出る時間が、自然と私の毎日に組み込まれていった。
面白いもので、雨の日に歩くのがつらいと思っていても、ふと雨が上がって晴れ間が差し込む瞬間には小さな感動がある。そういう予測不可能な自然の変化に身を委ねていると、自分が天気の一部になったような気分にすらなる。
携帯電話をポケットに入れたまま、画面を見ることもなく1時間ほど森の中やゴルフ場を歩く。ただ犬と一緒に歩き、どこへ向かうでもなく、足を動かし続ける。気がつけば私は、何も考えない時間を持てていることに気づく。その事実に、どこか救われたような気持ちになった。
何も考えない時間の価値
散歩の間、メールを返信する必要もないし、メッセージの通知に追われることもない。ただ目の前で歩く犬に目を向けるだけだ。その純粋な時間が私の心を少しずつ軽くしてくれているのを感じる。この暗いイギリスの冬と向き合う力を、私はこの時間からもらっている。
冬の冷たい雨でぬかるんだ地面を踏みしめながら進むたび、私は自分の足元を確かめる。そして「自分はこの悪天候でも歩けるのだ」という感覚を得る。何をそんなに天気を心配していたのだろう。もう少し待てば春が来て、やがて夏になる。そんな当たり前の流れを、犬と一緒に歩くことで心の中に実感として取り戻したのだ。
犬と歩く自由
犬が私に与えてくれたもの。それは単なる1時間の散歩ではなく、自由な時間だった。デバイスに支配されることなく、情報の波から離れて、ただひたすら歩き続ける。そのシンプルな行動が私の心を静かに開き始めているようだ。
そして私は気づく。時には何も考えない時間を持つことが、自分をリセットする最良の方法なのだと。今、この瞬間、私は少しずつ、冬の暗い日々を抜けていく準備ができている。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から795日目を迎えた。(リンク⇨794日目の記事)』
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