小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。無職生活673日目を迎えた。(リンク⇨672日目の記事)
子供の頃から私は野球に夢中だった。部活動に入ってからというもの、10年間、365日、ほぼ野球のことばかりを考えていた。ボールをいかに遠くへ飛ばし、いかに多くの点を取るか、それが私の全てだった。
「気合だ!根性出せ!座るな!水を飲むな!」と、そんな言葉が日常だった。理論的なアプローチは無視され、チームの士気を高め、一丸となることばかりが重視された。そう教えられてきたし、それが正しいと思っていた。
確かに、気合を入れて頑張ることは大事だ。根性を見せて努力する姿は、称賛されるべきものだと信じていた。だけど、10代後半になり、ふと気づいた。これって本当に正しいのか?どこかで何かがおかしいと感じ始めたんだ。
私は思った。気合や根性の文化は日本の神道にも何か関係があるのだろうか?もし西洋の宗教や文化の中で育ったら、同じように考えるのだろうか?そんな疑問が膨らみ、答えを求めて私はアメリカへと飛び出した。
アメリカでの野球は、まるで別のスポーツのようだった。同じ高校生が、楽しみながら理論的にスポーツをしていた。練習の全てが、どうすればゲームに勝てるか、その一点に向けて組み立てられていた。気合や根性を振りかざすことではなく、効率や技術を磨くことに集中していた。
そこで、私がそれまで抱いていた「根性」「気合」といった言葉は、まるで霧が晴れるように消えていった。アメリカでの経験は、私に新しい視点を与えてくれた。無理をせず、自然体で、自分の興味や情熱に従うこと。それが一番大切だと感じるようになったんだ。
今では、頑張りすぎず、自分が本当に好きなことに没頭することに全てのエネルギーを注いでいる。かつての「気合」や「根性」からは、もう解放された気がする。そして、それが今の私にとっての「勝利」なんだと思う。
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