
アブダビからやってきたXさんは、ロンドン・ヒースロー空港を出て高速道路に乗るなり、ぼそりとつぶやいた。
「アブダビの方が道路が綺麗ですね」
私は少し笑って、「そうでしょうね」とだけ答えた。
ヒースロー空港はイギリスを代表する国際空港であり、そこから毎日何万人もの人がロンドンを目指す。タクシーに乗れば、必ず通るこの高速道路。しかし、その道には穴が開き、舗装はどこか疲れたようにくすんでいる。かつて憧れを抱いてロンドンに降り立った旅行者たちも、この道を通るときには少し落胆するかもしれない。
窓の外に目をやると、冬のロンドンらしい、陰鬱な曇り空が広がっている。まるで世界の終わりを控えた舞台装置のように、灰色の雲が果てしなく広がっている。気温は5度。寒く、暗く、湿った空気が車内にまで入り込んできそうだ。
「これがイギリスらしい天気ですよね?」と私は開き直ったように言う。
Xさんは苦笑する。
やがてビッグベンやトラファルガー・スクエアが近づいてくると、決まって渋滞が始まる。目的地まであと5キロ。しかし、そこにたどり着くには30分はかかるだろう。
ロンドン市内の道路は厳しく管理されている。最高速度は32キロ(20マイル)に制限されているが、実際にはそんなスピードで走れることはほとんどない。車線は交差点を越えるたびに減少し、バス専用レーン、自転車専用レーンが幅を利かせている。そして、中心部に入るためには「混雑税」とも呼ばれる15ポンド(約3000円)もの課税が課される。それでもなお、ロンドンの中心には無数の車が吸い寄せられるように集まってくる。
Xさんは、ため息混じりに「歩いたほうが早いですね」と冗談めかして言う。
「実際、そうですね」と私は頷く。
この終わりなき渋滞も、このどこまでも続く灰色の空も、ロンドンの一部なのだ。受け入れるしかない。そして、この時間をどうにかして楽しむしかない。
文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から808日目を迎えた。(リンク⇨807日目の記事)』
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