アラフィフで小学生と中学生の子供を持つサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その後の就職活動もうまく行かず無職生活100日目を迎えた。(リンク⇨99日目の記事)
いつから100日を数える習慣が始まったのか?
最近(ここ10年ぐらい?)では100日目を迎えることに何かと報道の注目を浴びるが、日本には昔から100日を区切りに何かを考え直したり、その日を基準として何かが変わると騒いだことはなかった。1ヶ月、3ヶ月、半年、1年、3年、5年、10年という節目を注目してきた。
アメリカの新政府が創設してから100日を取り上げる報道を見る限り、100日目に注目するのはアメリカ発祥のように思える。
新規に何かが発足、問題が起きてから、実際にその渦中にいる者にとっては30日だろうが、100日だろうが、問題を抱えていれば、とにかくその状況を脱したい思いで必死だ。
私が会社から解雇通告を受けたあの日から100日目。
朝を迎えると、いつもと変わらず社会に属さない生活が始まり、インンターネットを通してメールチェックや転職サイト検索の作業が始まる。
そして主夫である私は晩飯のメニューでも考え始める。
これが毎朝の日課だ。
あまりに日常が単純化すると(おそらく職を持って仕事をしている時もそうだろう)、今日一日の価値を忘れがちになる。
人生100年という言葉が先走って、「あと40−50年も生きるのか?」と残りの人生のカウントダウンでまだまだ先が長いと認識したり、アラフィフで若さを失うことに不安を感じるといったことが邪魔になって、今日のこの日に集中できないようにさせているのかもしれない。
老いることのアドバンテージを理解し、自分を受け入れ、今日という日を健康でいられることへ感謝することで、未来への心配は取り除けるはずだ。
失職から100日目は、人生のハイライトとしては興味を示す日ではあるが、実際は、今日という1日を無事迎えることができた感謝を示す、何も変わらない普段の日なのである。
(終)
〜はる〜
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