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教師になりたかったが、部活の先生を見てその希望を断ち切った 教師にならなかった理由についての覚書

Writer: haruukjpharuukjp


Xさんは来週、大学院を卒業する。そして、この4月から自分の母校で理科の教師になるという。

「子供に教えることは、その子供の成長を見届けることでもあり、進路を手助けすることでもある。そして、彼らが卒業した後も訪ねてきてくれたり、成功すれば恩師として紹介してくれたりする。それが教師という仕事の醍醐味なんです」——Xさんはそう語った。

なるほど、と私は思う。

私にもかつて、教師になりたいという漠然とした願望があった。教科は特にこだわらなかった。数学でも英語でも体育でも、極端に言えば道徳でもよかった。ただ、人に何かを教えること、それ自体に興味があったのだと思う。

だが、高校生の頃、その考えを捨てる決定的な出来事があった。

私が中学生だった頃、野球部の監督を務める先生がいた。彼はクラス担任も兼ねており、まさに"熱血教師"の典型だった。朝7時には学校に来て野球の朝練を指導し、昼間は授業をこなし、夕方は再び野球部の指導。帰宅するのは夜8時を過ぎる。土日も試合や練習でほぼ学校に缶詰状態だった。

先生には生まれたばかりの子供がいた。しかし、彼がその子と過ごせる時間はほとんどなかった。

当時はそれが"教師のあるべき姿"とされていたのかもしれない。彼の指導は厳しく、時には体罰に近いものもあった。生徒の成長を願うがゆえだったのだろうが、私にはとても真似できる生き方ではなかった。

私は思った。「教師になるのはやめよう。家族との時間を大切にしたい」と。

そして今、私はロンドンで家族を持ち、子供たちの成長を見守っている。その手助けをしながら、彼らがどんな未来を歩んでいくのかを楽しみにしている。

それは、教師という道とは違うかもしれない。でも、私にとってはこれが正しい選択だったのだと思う。

最近では、日本の学校も教師の負担を減らす方向にシフトしつつあると聞く。しかし、それはほんの一部の話で、今でも多くの教師が過酷な労働環境にあるのが現実だ。

生徒たちの成長を見届けることは素晴らしいことだ。でも、それと同じくらい、自分の家族と過ごす時間も大切だ。

教師にはならなかったが、私は今の生活に満足している。そして、それでいいのだと思う。


文:はる『ロンドンでの失職、生き残りを綴ったブログ。小学生と中学生の子供を持つアラフィフサラリーマンが、ロンドンで長年働いた会社からいきなり(当日)の解雇通告を受け、その瞬間からオフィスにも戻れず退職。フリーランスで僅かな食費を稼ぐも、その後の就職活動が難航中。転身開始から833日目を迎えた。(リンク⇨832日目の記事)』


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