この映画を観て、誰が喜ぶのか疑問になった。
映画の構成や演技は素晴らしいものであったが、内容は家族の不幸、そしてそれに苦しむカップルの話で何とも言えない後味の悪い映画だった。
私の友人にも何人か同じ経験をした人たちがいる。そして、過度の精神的ダメージを受けたと聞いている。
実際に経験したカップルが、もしこの映画を観たら、回想させられて不快に感じ、酷ければうつ病に陥ってしまう。
一方、無事出産を済ませ、健康な子供がすくすく育っているカップルは「もし実際に自分に起きたらどれだけ悲惨だったろうか」とおぞましく思うだろう。
戦争映画も同様で、実際に戦争で亡くなった人がいる家族や戦争を経験した人たちはあの時を思い出したくないと、そういった映画は観たくないだろう。
戦争を経験していない人は、戦争とはどういうものか興味津々に観るかも知れないが、それはフィクションであって欲しいと願いながら観ている。
歴史とはどういうものであって、戦争は2度と起こしてはいけないと認識するには、映画も役に立つかも知れないと思う(今回のロシアのウクライナ侵攻で、そのシナリオは崩されたが)。
戦争は人の手によって止めることはできるが、このPieces of a Womanの出来事は誰にもどうにもできない。全員が小さな生命を守るために必死になっても守ることできなかった事故としか言いようがない。そして、同じような経験をして悲しんで、精神的に苦しんでいる人たちが大勢いる。
映画を観ようが観まいがそれは個人の自由である。
そして製作者もどんな映画を作ろうが自由である。
しかし、今回観たPieces of a Womanは誰も喜ばない、そして観たくない映画だと私は感じた。
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