1996年にスコットランドで羊のドリーが細胞からクローンされて生まれたという有名な話がある。
核を提供した個体と全く同じ遺伝情報をもつクローンがもし自分だったとわかったらどうするだろう?
もし、父親が亡くなった息子と復活させ自己満足のために同じ細胞でクローンを作って、それが自分だったらどうするだろう?
自分は自分と受け止められるだろうか?
もし、他にもクローンがいて、世界のどこかに自分と全く同じ要素の人間がいたらどうなるだろう。
想像すると複雑すぎて、そこまで深く考えないかもしれない。
小学生の娘に「もし自分のクローンが存在したらどうする?」と聞いたら「◯す」と即答だったのも驚いた。気の強い娘である。
自分が誰なのか分からなくなって「自◯」すると考えるクローンもいるかもしれない。
自分の幸せは何かを知ることができず、誰かのコピーとしてただ単に生きるかもしれない。
私だったら、人は人、自分は自分と割り切って、今いる自分の世界を楽しむしかないと思うだろう。
自分のクローンに1度は会ってみたいという気持ちになるかもしれない。
自分の幸せとは何かを考えることが大切であって、クローン人間だから生きてはいけないとか、他のクローンが憎いなど思う必要もないと思う。
結局、人間は人それぞれ違っていて趣のある動物であるのでクローンは必要なく、亡くなった人間を復活させるべきではないというのが私の結論である。
談話室 Old Vic
今日はクローン人間のお話。(ちょっと胡散臭いがご了承いただきたい。)
昨日、ロンドンの演劇場Old Vicで「A Number」という劇を観た。
ちょっとネタバレだがクローン人間の話。
息子も連れて行って最後まで一緒に楽しめた。
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