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  • Writer's pictureharuukjp

楽器を演奏できる喜びを得る子供たち






我が家の話。


小さい頃から習い事に通わせるのは親の子供に対する期待である。他には、子供が興味のあることを見つけ出すことに選択肢を与えるという目的もある。


我が家の2人の子供たちには習い事をさせている。赤ちゃんの頃の水泳、アート活動など、既に1歳から何らかの習い事活動に参加している。


昭和生まれの私には、そんなに小さい頃から、興味があるのかないのかわからない習い事なのさせる必要がない、私なんかまともに習い事を始めたのは、小学校の柔道と学童野球程度たったと言いたいところだ。


しかし「自分は昔こうだったから」という理由で現代の子供に同じことを押し付ける必要はない。


冷静に子供の脳への影響を考慮すると、科学の世界では、小さい頃からいろんなことに挑戦してみることは脳への刺激になり、発達を助長するといわれている。だから、赤ちゃんの頃から習い事に参加して活発になることは悪くないことだと信じて、我々、親たちは子供に習い事をさせる。


子供の目線で話すと、


「行きたくもないのにどうして親は習い事に行くことを勧めるのかなあ。でも、だんだんできるようになって楽しくなってきたから続けようかな。」


といった気持ちだろう。





我が家の上の子は10年程度の人生で、水泳、器械体操、乗馬、テニス、ゴルフ、ピアノ、クラリネット、アート、裁縫クラブ、日本語学校、スペイン語教室と、あらゆる事に挑戦させた。そして本人が本当に行きたくないというものは強制せずにすぐ諦めた。その結果、今残っているのが、テニス、ピアノ、クラリネット、スペイン語教室である。


楽器に関しては途中諦める場面もあったがなんとか留まった。そして、今では近所の友人と集まって演奏会をして楽しめるぐらいまで技術が上がった。


基本は学校に行って勉強に励んでくれれば親は何も言わないが、子供が、自分の意思で続けた習い事で、友達とのひと時を楽しむことができた瞬間は、本人は「習い事やっててよかったなあ」と思う瞬間である。


私が子供の頃の喜びは学童野球で試合に勝ったり、ヒットを打って活躍した時に得たことで、今、我が子が経験している喜びの質と同様である。ここでようやく「自分は昔こうだったから」という同調圧力を「喜びを得る」観点から成立ので、我が子がこの喜びを得られるまで、習い事を続けるかどうかの途中経過で強制や期待はするものではない。


生まれてから10年でいろんな経験をさせて、本人の好きなことを自ら探し、その達成感の喜びを分かち合える家族、友人がいれば、子供は幸せだろう。


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